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  • 2016.02.01
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一輪の花が届ける世界の幸せフォーラム  講演録はコチラ

1月23日(土)16時30分より、国立京都国際会館 ROOM Aにて一輪の花が届ける世界の幸せフォーラムが開催されました。今回は、講演を聞くことができなかった皆様に今回の講師、萩生田愛氏の講演内容を講演録としてまとめましたのでぜひ一読ください。

 

 

2016年度京都会議 「一輪の花が届ける世界の幸せフォーラム」講演録

 

アフリカの花屋という名前を聞いたことがある方はいらっしゃいますか?

少しだけ居てくれてうれしいです。このビジネスをはじめた3年前は、ほとんど誰にも知られていなくて寂しい思いをしたのですが、本日は何名かご存知の方がいらっしゃるのでうれしいです。

アフリカの花屋ってなんだろうって思われると思いますが、アフリカのケニアという国から、生のバラを輸入してそれを日本で販売している、そういったビジネスモデルです。

これは非常にシンプルなビジネスモデルで、現地の農家から生のバラを飛行機で運んで、インターネットを通してお客様にご購入していただいたり、昨年10月に東京・広尾にオープンした店舗では、実際にバラをごらんいただいてご購入いただけます。

よく収益の何パーセントを現地に寄付するという事例も聞くことがありますが、私たちは一切そういった活動をしないで、現地の雇用を増やす。そのようなコンセプトでこのビジネスに取り組んでいます。

 

 

私はよく、何屋さん?と聞かれます。私は、花屋さんとかバラ屋さんとは思っていません。私の仕事は、今日来ていただいた皆さん一人ひとりがこの講演が終わった後、バラの花をプレゼントしたくて仕方がなくなる、プレゼントをした人の反応が見たくて仕方がない。そういった状態を作り出すことが私の仕事だと考えています。

 

何でケニアのバラを輸入しているのだろう?日本のバラとどう違うのだろう。なぜわざわざコストをかけてアフリカから輸入するのだろうと、皆さん思われると思います。ケニアのバラの特徴として、これから三点挙げさせていただきます。

一点目は強い生命力。非常に持ちが長いということです。皆さんバラの花を購入したことがありますか?

大体バラの花は何日持つと思いますか?この質問をすると三日から一週間という回答が多いのですが、ケニアのバラは二週間から、しっかりとお手入れをされる方は三週間から長くて一ヶ月ほど持ちましたという驚きの声もいただいています。それはなぜかというと、ケニアの土地と気候が作り出したのです。ケニアは赤道直下なので日照時間が非常に長いのです。太陽をたっぷりと浴びたことが要因となり、非常に強い生命力があります。

そして、アフリカというと非常に暑いという印象を持たれていると思いますが、実は、日本の軽井沢のような気候で標高が高いのです、大体2,300メートルくらい、そして朝晩の気温差が激しいので、とても色鮮やかな、長持ちするバラが実るといわれています。

二点目はその大きさです。日本のバラと比較して1.5倍から2倍くらいの大きさになります。とても存在感があるバラです。

三点目は珍しい模様、とてもユニークなパターンが挙げられます。オレンジと赤のグラデーションだったり、ピンクと薄いグリーンのグラデーションだったり、またはマーブルカラーだったり…このバラを見た方は「本当にこれバラなの?」と非常に驚かれます。そしてそのバラを飾っておくと二週間以上長持ちするというそういった特徴をもったバラです。

 

そして、そのバラを栽培している現地の農園についてですが、8割が女性の職場です。私が輸入を始めた2012年には従業員が150人だったのですが、翌年の2013年には380人に増え、昨年2015年には1500人まで成長しました。その中で、2013年には従業員の昼食が、半額は会社支給だったのですが、昨年には全額無料と福利厚生が整っていますし、優秀な学生には奨学金制度が設けられたりとか、24時間体制の病院が完備されたりと、充実した労働環境が整いつつあります。このようなところからバラを輸入して販売しています。

私が訪問したときに非常に印象的だったのは、このバラを梱包する部屋で音楽が流れているのです。とても陽気な音楽で、皆さん本当に楽しそうにバラを梱包していた、そんな印象が強く残っています。

 

 

ここで簡単に自己紹介をさせていただきます。

私は東京都町田市出身で、カリフォルニア州立大学というところに留学をしておりました。そこで国際関係学というのを学び、その中で一年間スペインに留学をし、その後卒業し、日本のエーザイ株式会社に営業として就職しました。その3年後にグローバル人事という育成や海外人事、採用を担当していた部署に配属になりました。その後入社7年目で退職し、ケニアに行って学校を作るボランティア活動に従事しました。そこでバラを見つけたので、これを日本に持って帰ろうと思い、2012年の10月にアフリカの花屋をはじめました。そして、その一年後に、業態はそのままですけど、法人化を行い、株式会社Asanteとして設立しました。Asanteというのはスワヒリ語でありがとうという意味ですけど、これは、ケニアのバラに出会うことができたことへの感謝。そして、このバラを通じていろいろなお客様や仲間、今日聞いていてくれる皆様への感謝。そういった意味をこめてAsanteという名前をつけました。

こんな私ですけども、もともとはかなり人見知りで、小学校の教室で「はい萩生田さんここの文章読んでください」と言われても、下を向いて返事もできないほどの赤面症で恥ずかしがり屋で引っ込み思案でした。

ですので、友達に一緒に遊ぼうっていうこともできないで、本当は一人でいることが好きだった訳ではなく、みんなの仲間に入れて欲しいんですけど、なかなかその一歩が踏み出せないという、そういう内気な小学生でした。そういった自分が嫌で、小学校4年生の時に親の都合で転校したことをきっかけに、自分を変えたいんだと両親に宣言して、転校したその日に私を一緒に遊びの仲間に入れてと勇気を出して言ったら「あ、いいよ~」とすごくすんなり受け入れてくれて、それから毎日、生活が100倍楽しくなりました。その成功体験があるからこそ、自分は勇気を出して行動すること環境を変えることそれが私の成長にとってキーワードになるなと。とても大事なんだということを学んだんじゃないかなと今振り返って思います。

 

高校の時にオーストラリアに短期留学に行ったことをきっかけに、世界って広いなぁと日本は島国なんですけどもそこでの楽しいということは世界に目を向けて、世界で勉強したり旅行に行ったり、そこで生活をしたりすれば、もっともっと世界が広がって楽しいんじゃないかなということを思い、大学はアメリカを選びました。

そのアメリカでは何をやっていたかというと、毎日ビールを飲んでいました。すごくビールが好きで、特にシエラネバダというビール。このシエラネバダというカリフォルニア州の地ビールがあるんですけれども、これがすごく美味しくて、毎日毎日これを飲んでいて、ただ単に飲むっていうこともあるんですけれども、クロアチア人のお友達だったり、メキシコ人のお友達だったり、ドイツ人のお友達だったり、色んな国から来た人と一緒にビールを飲むことで、色んな話をしました。恋愛の話をしたり、両親の話をしたり、芸術の話をしたり、歴史の話をしたり、そういったことがすごく大好きだったので専攻は国際関係学というものを選びました。

 

 

ただ単に遊んでいただけかと言うと、そうではなくて、強く印象に残っているものがあります。それは模擬国連に参加した時のことです。模擬国連というのは、全米の学生がニューヨークの国連ビルに集まって世界平和や環境問題、貧困問題などについて議論しどうやって解決していったらいいのかというのを話し合い、それを競う大会で、その外交スキルを競う大会ですが、これに参加した時に、1日1ドル以下で生活している人がこんなにたくさん居るということ、私は日本に生まれてきて本当に恵まれているなぁと思う反面、実際の現地はどうなんだろう?そんな支援なんてしても迷惑なだけかもしれないし、先進国のエゴで与えているだけなのかもしれない。本当に現地の役にたっているんだろうか?というふうに思いました。

そして、それを確かめるには自分で行くしかないと、思いました。でもその時は学生で親のすねをかじっていましたので、まずはちゃんと卒業して、就職して自分でお金を稼げるようになり、それでも行きたいと思ったら自分のお金で行こうと考えて帰国をしました。

 

その後、2年間製薬会社でMRというお医者さんにお薬を紹介するお仕事をして、そこでたくさんの出会いがあり、というのも、クリニックのお医者さん方って一国一城の主なので、ひとりひとりが経営者です。入社したての若いうちからクリニックを切り盛りするという、そういう経営のスタンスを目の当たりにすることができました。クリニックの中でも、すごく繁盛しているクリニックに入ると受付の方の対応が全く違って患者さんもすごく楽しそうにしているんですね。一方、全然儲かっていないところのクリニックは、受付の人も全然対応が良くないし、じめっとした空気が漂っているということに気づいて、目に見えない何かがあるんだなと思うことと同時に、すごく繁盛しているクリニックはすごくプライドはあるんだけれども謙虚でエネルギーに溢れている方々だったんですね。そういう先生方に色々なアドバイスをいただき、こちらからもお薬の説明をさせていただいている中で、あぁなんかかっこいいなとこんな感じに自分もなれたらいいなぁと思ったことは覚えています。

その後、グローバル人事という人事系の仕事に配属になったんですけれども、そこでもグローバルで活躍しているリーダーの方々にたくさん会う機会があり、会社の中の次期執行役の方を育てるような育成プログラムを開発したり、その方のアテンドをしてシカゴの大学院で1週間缶詰のプログラムの中で、企画をしたり研修をしたりサポートをしたりという仕事をしていました。すごく印象的なことは、世界的に有名な研究者、薬の研究者の方もそのグループにいて、みんなで野球を見に行ったときのことです。その際、すごく長い距離を歩いてスタジアムの上の方で観戦したんですが、そこに私が忘れ物をしちゃったんです。みんなで歩いてきてバスに乗る時に、「忘れちゃった」と言ったら「じゃぁ僕とってきます」と言って、私はまだまだヒヨっ子なのに世界的に有名な研究者の方が「取ってきてあげるよ」と、私は、「いいです。そんな、悪いので・・・」と言いましたが、パッと見たらもう居なくなっていて、全速力で私の忘れ物を取りに行ってくれたんですね。その行動を見たときに、なんて人間力のある方だというふうに感動しました。その時に朧げながらに、こんな温かい人間に将来なれたらいいなぁと思ったのを覚えています。この製薬会社ではたくさんのことを学んで、いろんなことを教えていただいたなぁと感謝をしています。

 

この会社を退職するきっかけになったのは、WHOとこの会社が提携してアフリカに薬を無償提供したということがありました。それが、今まで立派な社会人になるために入社した会社と、いつか行きたかったアフリカが重なった瞬間だったんです。私も何かしなければ。ここで忘れたら、もう一生アフリカには行かないだろうと。当時29歳だったので結婚をして出産をしたらきっと行けなくなるから、今このタイミングで行くべきなんじゃないかなと思い、思い切って退職をし、ケニアに渡りました。

 

ケニアでは何をやっていたかというと、小学校を作るボランティアを6ヶ月間にわたり、お手伝いしていました。ホントに小学校を作るのです。レンガを焼いたり、セメントと砂利と砂を混ぜたり。この目的というのは、現地の建設のコンサルタントの人を呼んで、現地のお母さんたちに、コンサルタントがお母さんたちに作り方を教える。なぜこんなことをやるかというと、学校なので公共機関の仕事なんですが、色々とアフリカの事情があって、せっかく降りてきた予算も無くなったりだとか、誰かのポケットに入ってしまったりだとか、そういうことがあるので、割り当てられた地域にちゃんとした数の小学校ができない現状がありました。さらには、5時間くらい歩いていかないと学校にたどり着けない。小学校1年生や2年生くらいの体の小さい子が5時間もかけて小学校にはなかなか行けないということで、そういった理由で学校に行けない子供たちをサポートすることもしていました。そこで学校を作っていて学校に行けるようになった子供たちもたくさん居ます。

ですが、その一方で、それでも学校に行けない子供たちがいるということを知りました。両親に職業がないので、家計を助けるために子供たちが仕事をしなくてはいけない。だから学校に行っている暇がないことが分かりました。貧困な地域ほど子供たちの就学率が低いというデータも見ました。学校というハードを作っても、両親に職業がなければ、お金が稼げなければ、子供たちが学校に行くこともできない、ということを感じました。

 

そのためには、仕事を作ればいいんだと単純に考えました。そして、もうひとつ私にとってショッキングな出来事がありました。ある小学校に行った時に私たちはNGOですと言った際に、校長先生が「How can I help you?」 といわれたのです。それはどういう意味だったかというと、様々な国際NGOが、次々とその村に来て、学校をあげます。お金をあげます。こういうサポートをします。という現状があり、じゃぁ貰えるものは貰いましょうというスタンスになってしまっているのです。それぞれのNGOが持っている条件があるので、その条件に満たないと支援ができませんと言われるので、じゃぁ僕たちはどのように協力すればお金がもらえるんですか?学校をくれるのですか?というスタンスになってしまって、本当は、彼らがどういう形で学校が欲しいのか、どうやってそれらを成し遂げたいのかというのは、二の次になってしまう。しかも、貧困のままの方が次の援助が入りやすいので中途半端に自立するよりは貧困のままの方が彼らにとってはメリットがあるというのです。そういった現状を知って、頭をハンマーで殴られたような衝撃で、私はいいことをしに来たのに、全然役に立っていないどころか、自立支援を阻害していると思ってかなりショックを受けました。

 

これから私は、どのように関わっていこうかと考えました。関わり方としてはNGOに所属し続けて、もっといい方法でサポートすることもできるでしょうし、あるいはCSRという形で企業に入り込んで企業の技術を使ってサポートする方法もあると思いますし、国連のような国際機関に所属するなど、いろいろ考えましたが、やはり、お金とか仕事とかが無いのが一番の問題だから、それを作れるようにした方がいいのではないかというのが私なりの結論でした。いろいろ考えた末、援助ではなくビジネスで。そして与えるのではなくて対等な立場で一時的ではなく長期的に持続可能なシステムを作りたいと思ったことが、ケニアで学んだことの結論でした。

 

では何をするのか。時間を遡って2011年の7月に初めてケニアに降り立った時です。月曜日から金曜日までは村に行って学校を作りに行っていました。週末はナイロビという首都で、そこで映画を見たりショッピングに行くような生活をしていました。ナイロビに、ある花屋さんがあって、毎週末癒しを求めに花を買いに行っていました。ここで初めて見たバラがオレンジと赤のグラデーションだったり、ピンクと淡いグリーンのバラ。この花を最初に見たときに、バラと気付きませんでした。もともと私は生け花草月流の師範を持っているので、たくさんの花を見てきたんですけど、このバラを見てバラって気付かなかったんです。チューリップなのか、新種の花なのかなと思って、「これ何なの?バラ??」って言ったら、「そりゃそうだよ。日本にはバラは無いのかい?ははは」というふうに笑われてしまって、「日本にもバラはあるけど、でも黄色とか白とか赤とか単色のものしかないし、こんなに茎も太くないし、全然ケニアのバラって日本のバラと違うね」という話をしたんですね。そしたらこのフラワーショップのお兄さんが「そうだよ。ケニアのバラの輸出量は世界一だ。」とすごく誇らしげな笑顔で私に教えてくれました。あ、そうなんだ。ケニアってバラができるんだ~。とその時に驚きました。

 

その後、インターネットでケニアのバラで調べてみると、本当にバラの輸出量は世界で一位というのが分かりました。コーヒーや紅茶っていうのも有名ですけど、それに次いでバラが外貨獲得産業の柱になっていることが分かりました。では、なんで私は今までケニアがバラの産地ってことを知らなかったのかと不思議に思い、また調べてみると、このほとんどの輸出先はヨーロッパでした。オランダに世界で一番大きな花の市場があるのですが、そこに流通しているバラの七割がケニア産でした。しかし、日本にはその1%しか輸入されていないという現状が分かりました。じゃあ、これを日本に持ってこようかなと単純に思ったわけです。そうすればバラの流通量が増えて、日本に市場が拡大すればケニアの雇用も増えるという単純な方程式になると思って2012年にアフリカの花屋をオープンしました。

 

バラってどうやって運ぶのかと疑問に思うかもしれませんが、もちろん船でなく飛行機で運びます。飛行機で17時間かかります、ドバイ経由で、この事業を始めた頃には、成田空港まで車で取りに行っていましたが、今は羽田空港にもケニアの飛行機が入るようになりましたので、羽田空港に行っています。通関と検疫を自社・・・というか私がやりますが、初めて輸入するときには、母と2人で空港に行って、夜中に通関業務をしてダンボールにたくさん詰まった花を持って帰り、水揚げをしていました。初めてバラが届いたときには本当に感動しました。ケニアからバラなんて本当に届くのかなと思われると思いますが、私たちもはじめは同じ気持ちで、もしかしたら届かないのではないか、届いた時には枯れているかもしれないと思っていました。でも、バラのパックを開けた瞬間に、バラたちが本当に届いていました。すごく感動して、急いで水揚げをすると、葉っぱがちょっとしなびていたのですが、17時間も水を与えないので、水を吸ってピンピンと生き返っていく様子がすごく顕著に分かりました。あぁ本当に生きているのだなと長旅お疲れ様。よく来たねという気持ちになって、このバラを販売していこうと決めました。

 

けっこう鮮やかなバラで力強いバラですねというふうに驚いていただいたり、本当に長持ちしますねと驚いていただいたりしていただけます。皆さんインターネットでお買い物をされたことある方いらっしゃいますか?ほとんどいらっしゃると思うんですけど、買ったあとに商品の感想・・・クレームじゃなくて、いい商品でしたよという感想をメッセージした方ってどれくらいいらっしゃいますか?・・・あ、素晴らしいですね。こういう仕事をしているとお客様からの声っていうのがすごく大事で、本当に綺麗で差し上げた方が喜びましたとか、長持ちしましたという感想がとても嬉しくて、アフリカの花屋のお客様は本当に素敵な方が多いので皆さん感想をくださって、私のモチベーションにもなるし、また、感想を現地にフィードバックしています。

年末にスタッフが、この農場に訪問したんですね。そしたら3年前に私が現地に訪問した時にプレゼントしたお客様からの寄せ書きと写真とバラの写真を貼った色紙みたいなものをプレゼントしたんですけれども、それが飾ってあったと聞いて、すごく嬉しいなと思いました。

 

今後の展望としては、昨年の10月に東京都広尾にお店をオープンしました。これはクラウドファンディングという形でお客様にサポートをいただいて、集まった資金でお客さんと一緒にお店を作って、看板もお客さんが貼ったり、床を敷いたりとか、私もこうやってツナギを来て電ノコで木を切ったりだとかこんな感じでやった結果、みんなの心と気持ちがこもったお店が10月にオープンしました。

 

冒頭にも申し上げましたが、私は花屋をやっているという意識ではなくて、こういう世界観を表現することでアフリカのイメージを変えていきたいと思っています。アフリカというと貧困とか貧しいとか品質が悪いとか、そういったイメージをお持ちの方もいらっしゃると思いますが、アフリカと聞くと、あ、あの綺麗なバラのできる国、ケニアと聞いたら、あの自然が豊かでバラができる国、そういう印象に変えていきたいなぁと考えています。

広尾の店舗も普通の花屋とは違っていて、男性が入りやすい仕掛けをたくさん作っています。男性はなかなかお花屋さんに入りにくいと思いますが、それはきっと、花屋にいる自分が恥ずかしかったり、ピンクとか白とかの可愛らしいラブリーな雰囲気の中に居るのが恥ずかしいのかなと思ったり、あとどういうふうに買ったらいいのか分からないとか、そういった要素もあるんじゃないかと思うので、内装はいたってシンプルにしていたり、花以外の雑貨も扱うことで「俺は花を買いに来たんじゃないんだよ。雑貨を見に来たんだよ」という大義名分ができたり、あと男性のフラワーデザイナーがいるので、男性に相談に乗ってもらうだとか、あと、花束のデザインをかっこよくしています。箱もこんな感じで。なので、花を持って歩いている自分がかっこいいと感じていただけるようなデザインだったり、あとはメンタル面といったら恐縮なんですけれども、女性のスタッフが居るときなんかは「ほらお花持っているこのお客さんかっこいいよね!」とか言うと、最初は「紙袋をください」っておっしゃるんですけれども、「うちはすみません、無いんです。なぜなら、男性が花束を持って歩いている、そういうかっこいい文化を作りたいので」「えーでも恥ずかしいよ」とおっしゃるお客様には、女性のお客さんがいらしたら一緒に「ほら、かっこいいよね」「うん。かっこいい」というと、「そうかなぁ」と言って背筋をピンと伸ばして帰っていかれるので、そういうふうに自信をもって、自分はかっこいいんだ。花が似合う男性なんだと思っていただけるようにしたいなと考えています。

 

企業とのコラボレーションでは、レクサスのショールームでフラワーアレンジメントレッスンをしたり、今年のバレンタインには、アルファロメオとコラボレーションをしてバラを配るようなイベントをしたりだとか、ハイブランドのコラボによって花がもつイメージというのがもう少し洗練されて、洗練されているけどカジュアルで、気軽にプレゼントできると。かっこいい自分というのを演出しやすいようなそういったブランドに育てていきたいと考えています。

 

結びになりますけれど、自分が新しいアフリカの雇用を生み出すようなビジネスを立ち上げるとか、そういったゼロから1を作るっていうのは中々日常の中でできることではないと思いますが、お金をどのように使うかということで私たち皆さんも一人一人が社会貢献できると思います。私の目標としては1人でも多くのお客さんにバラを楽しんでいただき、1人でも多くのアフリカの子供たちが安心して学校に通えるような世の中にしていきたいと思っています。ご清聴ありがとうございました。

 

担当:国際グループ

    世界に貢献する日本創造会議 議長 野杁 晃充