- 海外
- 2016.05.20
- 1884
台湾で最も愛される日本人 八田 與一氏
JCI ASPAC高雄大会の楽しみ方
~歴史編~
今回は台湾の歴史を紹介します!
【台湾で最も尊敬される日本人 八田與一 氏】
八田與一(1886~1942)氏は、日本人の水利技術者で、
当時日本統治下にあった台湾で、農業水利事業に大いに貢献した人物です
台湾では歴史教科書にも掲載され、子供からお年寄りまで、
最も尊敬される日本人として知られています
彼が企画立案から施工竣工まで手掛けた烏山頭水庫(ダム)が当地に有り、
このダムによって、この周りの嘉南平野が、不毛の土地から台湾を代表する穀倉地帯に生まれ変わり、
台湾最大の穀倉地帯が生まれたと言われています
現地の農民達によって、ずっと顕彰されつづけており、
その烏山頭水庫一帯が、八田與一記念公園となっています
ダムを見下ろす小高い所に、八田與一氏の銅像と夫妻の墓が置かれていて、
銅像は、第二次世界大戦中の金属供出時にも、その後の中国国民党政権の日本文化破壊時にも、
現地の人によって隠され、守り通された経緯があり、現在、台湾に残る唯一の日本人の銅像です
台南県の烏山頭は台湾第二の大型水利灌漑用ダムで、
入江は珊瑚が枝を広げている形に似ているので珊瑚潭とも呼ばれ、
また灌漑地域が広く嘉義、台南両県下に渡っているので、嘉南大圳とも名づけられています
このダム30以上の渓流の支流がこの湖に流れ込んでいるので、入江が多く、
湖中には小島がいくつもあり、山光水色相映り、優美な景観を呈しています
このダムは嘉義、台南両県下の68,792ヘクタールにのぼる広大な水田に灌漑用水を供給し、
台湾農業生産に多大な寄与をしているばかりではなく、南台湾観光の重要な拠点になっています
烏山頭ダムは1920年に建設を開始したもので、
日本の青年水利技師八田与一氏の設計と工事監督によって、
10カ年間の歳月を費やして1930年に完成
第二次大戦中、八田氏はフィリピンの水利工事建設の命令を受け、
日本より赴任の途中、乗船がアメリカ潜水艦の攻撃に遭って沈没し、
惜しくも九州沖で露と消えました
烏山頭の湖畔に居残った未亡人八田夫人は
終戦の年の1945年9月1日にダムの竣工式記念日に主人の手によって
建設されたダムに飛び込んで自殺された、という歴史があります
JCI関係委員会
広報幹事 崔 成基